
宮古島のガイドブック、BBCOMの表紙デザインの監修をさせていただきました。
昨日からぼちぼち島内に配布している模様です。
赤を全面にひいて、以前のデザインを刷新しました。
中ページの方も、リニューアルしているようです。月刊誌はBBCOMだけなので、これからもがんばって欲しいガイドブックです。
一度、新しいBBCOMを手に取ってご覧ください。
完全に風邪にやられた模様。ちょっと朦朧とする意識をひきづって、池間島まで。
かなり潮が引いていて、池間ブルーがハンパじゃありませんでした。すごいです。
干潮のときに出来る砂の島も、初めてみました。
来間島も素敵ですが、池間島も素敵です。
さぁ、今日は久々に番屋に行ってきます。
ちょっと込み入った話ですが、避けていては前へ進めません。
リラックスしていきたいと思います。

多良間島の子供。沖縄には、子供の瞳がよく似合う。
ここのところ、沖縄地方も気温の変動が激しい。
仕事もプライベートも忙しく動き回って、この気温の変化。
ちょっと熱にやられた感じです。
さらに、へこむ出来事が重なり、少しナーバスです。ナーバスブレイクダウン。
でも、今日の来間海峡の光景は、ひびの入った心の隙間を埋めてくれるような、優しい海でした。
潮が引き、普段、海面下の海底が浮き上がり、その上では人が磯遊び。
風もほどよく、小さな波頭が、逆光に、幾重にも模様を重ねていく。
今日は、ブルームーン。
月にも今夜、癒してもらおうっと。

京太郎です。
告知通り、4月7日(水)まで店の方は、お休みさせて頂きます。
先日の日記どおり、現メンバー最後の模合に行ってきました。
最近、オープンした「うまりずま」へ行ってきました。店内の造作も凝ってました。
レトロな作りで赤瓦屋根や、かやぶきの屋根なんかがいい感じです。
しばらくすると、女の子が回ってきて、リクエストに応じて三線を弾いてくれます。
皆さん、昔を思い出すと言ってました。
昔はどこかで座があると、誰か三線を弾ける人がいて、
すぐ近くで唄ったりしたりしてたのを思い出したみたいです。
この模合、石垣島のホープ君が島へ帰るので、解散かと思われましたが、
異業種交流としても、メリットが大きいという結論に至って続行となりました。
同感です。
石垣島ホープ君は最後ということで、やたら飲みます。
うーむ。送別会にとっておけばいいのにw
そして、超至近距離なのにタクシーに乗り、イーザトへ。結局3件回りました。
ちょっと、調子が悪かったので、控えめに飲んだおかげで、パルスに寄ることが出来ました。
久々に意識がなかなかクリアな状態でのinパルス。
ですが、オーダーしたお酒を飲んですぐ怪しくなってきました。
適当に飲んで、帰りは宮古島の三線poison idea 重ちゃんが送ってくれました。
ta!重ちゃん!!!

かなりプリミティブな沖縄の踊り、京太郎(チョンダラー)。

独特でどことなくオリエンタルな化粧。
なかなかマニアックな行事に、写真班として参加してきました。
沖縄の子供達による演舞や伝統芸能の競演です。
場所は、宮古島中央公民館大ホール。はじめて行きました。
ホールの他に和室とか洋室とか書かれた大きな部屋がいくつもあります。
その隣には、調理室。
他の地域でもこんな感じなのでしょうか。公民館って。
宮古島の地域の公民館でも、絶対に調理場があります。
この公民館が地域住民のコミュニティになっていて、何かと集まっては食べたり飲んだりするので、居間や調理場が充実してるのかも…。
そんな宮古島中央公民館に、宮古島はもとより、沖縄本島の北中城村・糸満・東村・宜野座・南風原、多良間島からも子供達が参加して、伝統芸能を披露。
印象的だったのは、下地のエイサーと、チョンダラー。
下地のエイサーは、かなりまとまっていて力強く、感動的でした。相当、練習していると思います。特に、平良以外の地区ではこういった事には熱心なので。
そして、なんといっても京太郎(チョンダラー)。なかなか宮古島では見ないのです。
厳かでどこか気品を感じ、神聖な気持ちにさせる踊り。
エイサーの原型とも言われる京太郎(チョンダラー)。
現在ではエイサーとともに舞うことが多い。
ちなみにエイサーは太鼓をガンガン叩くイメージが強いですが、太鼓で舞うエイサーというのは、比較的歴史が浅いのです。
今でも太鼓なしのエイサーなど、沖縄各地には色んな型のエイサーがあります。
さぁ、今晩はもうひとつの伝統行事、模合です。
メンバーは7人で、そのうち5人が宮古島人。もう1人が石垣島人。そして自分(内地人)。
石垣人のH君が石垣島に戻ってしまうので最後の模合です。残念ですが、サヨナラだけが人生さ。
寂しさを飲み干してやろうと思います。
エイサーを琉球の村々に広めたのは、芸能集団として京都からやってきた太郎こと、京太郎(チョンダラー)たちだったといわれています。
彼らは正月には門付けの祝言をとなえ、葬式では鉦(かね)を鳴らして念仏をとなえながら、念仏踊りをした念仏者(ニンブチャー)でした。
現在の那覇市首里にあったという行脚村(アンニャムラ)に集団で暮らしながら、村々を北部まで渡り歩いて念仏踊りを広めたようです。
時代と共にその歌詞の内容は少しずつ変わっていきましたが、『仲順流れ(ちゅんじゅんながり)』は今もその流れを受け継いでいる代表的なエイサー曲として知られています。

タコ下の池。キレイだ…
ちょと前になりますが、18日にIさんに誘われてkaori、さおりちゃん、ゆうこちゃん、もゆちゃんで、泳いできたそうです(@^▽^@)
当日は寒かったそうです。
Iさんが、隣の畑のゴーヤのネットを引きちぎって!作った網持参w引きちぎられたネットはどうなんでしょうか。
女子3人に向かって「さぁ、潜って、追い込めええ~!」てなことをのたまったそうです。
そこへ女子から激しい突っ込みが「Iさんが、泳いでよっ」Iさん苦笑い。
魚は網とは真逆の方向へ行ってしまったとさ(@^▽^@)
自分以外のほとんどの人を「わがままさあぁ。」というIさん。キュートです。
4月は人事異動の時期です。
ヤッカヤッカでもスタッフが変わります。学校が始まるので泣く泣く帰ったさおりちゃんの後には、熊本からニュースタッフがやってくる予定です。
後、友達のそのまた友達であるカメラマンさんもやってくる予定。東京で番組制作のお仕事されていて、現在独立。
撮影しながら南下。
1年近くの撮影旅行みたいです。1年後の写真集の出版が目標らしいです。
そして、もう1人もうすぐ、東京でCGのクリエーターとしてお仕事されていた方がやってきます。
ヤッカヤッカのブログを偶然、ご覧になったようで島に寄り添った暮らしがしたいという事でメールいただきました。
偶然にもクリエイティブな方々が、ヤッカヤッカに集まることになり、非常に楽しみにしています。
というような人事というか、布陣になります。
お酒でも飲みながら、飢えていたクリエイティブの話をするだけでもうれしいです(@^▽^@)
今年の来間のハーリーは、ヤッカヤッカだけでチームが組めそうです。
まぁ、文化系のメンバーですから、順位は絶対に期待できませんがw
もうすぐスツ御願。
そして、竜宮御願というものが来間島であります。
竜宮御願は、島のおばあたちだけでやる願い。男は入れません。
竜宮の神様を来間島でお迎えするのです。
そして、お迎えした神様は、張水御嶽に向かいます。そして、さらに時期が来るの大神島方面へ向かうのだそうです。
この話を自治会長さんに聞いた時は、なんとなくあったかい気持ちになりました。
andスツ御願。商売繁盛というか家にお金や幸が多く訪れるようにという御願。
去年は、当日に連絡を受けて二日酔いで死にそうでしたが、がんばって参加。
回ってきたオトーリに卒倒しそうになりましたが、がんばって参加。
このスツ御願、好きです。コンセプトも好きですが、島の道端(公道です!)に長老たちと車座になって座りこみ、飲んでゆんたく!
このアナーキーさ。公道を「おれの道だ!」といわんばかりで、我が物顔で占拠!!しかもお酒!無政府状態の非常事態宣言発令ですw
観光客の方々もおっかなびっくり。
素敵な島暮らし。あなたもいかがですか?
臨時休業のお知らせ
誠に勝手ながら都合により、
3月29日(月)~4月7日(水)の間、お休みさせて頂きます。

ヤッカヤッカのスタッフとしての一ヶ月を終えて、昨日、さおりちゃんが帰っていきました。
毎日、いろんな人に出会って、人生観が変わったと言いつつ帰途についたのが印象的でした。
来間島の農家Iさんのご厚意でヤッカヤッカでささやかながら、送別会。マックスバリューで美香と偶然会ったので、美香とU三も誘いました。
酔って毒舌を吐くIさんに、酔って暴走トーク炸裂のU三。楽しい飲みでした。
そして昨日は、来間小中学校の謝恩会に招かれたので行ってきました。一旦、仕事をするために自宅に戻る。
が、すぐ電話がなり、場所を移動して飲むから来てと。
断ってもよかったのですが、仕事も終わったし、久々に会う人もいたんで小中学校横のSさんの実家に行く。
みんな結構酔ってます。
途中ふけたので、その間にずいぶん、飲まれたようで…
酔った人たちを冷静に見られるのはなかなか愉快です。
今回は、仕事もあったのでお酒も控えめにして、帰りました。
ね・む・い

畑、あとちょと。がんばってください。
この連休、雑誌に載ったこともあって、忙しかったです。夕方、平良に向かう途中、来間大橋の下で少し、釣りしました。
久しぶりです。
誰もいない真っ青の海に釣り糸1本垂らす。
それだけで、スッと満足できました。
波の音と、確かに釣り糸1本で自然とつながってる感じ。
釣り糸を通して、自然の鼓動が伝わる感じ。
リラックス。
たまには、こうしなきゃなあーと思いました。

girls on miyakojima。もうすぐ、お別れ。春休みも終わる。
先週は、オブザーバーとしてkaori、ゆうこちゃん、もゆちゃんたちと、来間島の農家宴会に参加。
前々からお達しのあった、ヤギの晩餐。ヤギにも名前があって、ひろしです。ひろしさんです。
ありがとうございます。
1日だけ出るつもりだったのですが、しんどい仕事が早めに終わった日が、ちょうど晩餐の日。
病院で診察の結果が良好と出た日も、やぎの晩餐と重なりました。
なので、自分的にもお祝いと厄払いをかねて、ご相伴しました。
よもぎを大量に入れて食べます。ありがたく、命をいただきます。自らの命を養うために。
それぞれ思うこともあり、食べるという行為の言ってみれば罪深さのようなものをかみ締めた夜。番屋から眺める来間島の星空が、やけにきれいに見えた。ほろ苦い夜。
高校生くらいの時、ベジタリズムを志向していました。ビーガンです。
今でこそ、マクロビオティックなどの言葉も浸透している日本ですが、当時の日本にはそんな情報もまったくなく洋書などを見て、栄養価なんかはそれこそ中学校の時の家庭科の授業の教科書なんかを見て調べました。
当時の日本では、ある種、変態扱いの上、様々な突っ込みに会いますww
ベジタリズム自体は思想のような側面がありますから、なおさら厄介な部分もあります。
話せば長いのですが、つまるところ、色々と当時やりつくした結果、体が必要とするものを適度に摂取するのが、肉体的にも精神的にもベストだという所に行き着いたのです。
環境に対する意識にしてもそうです。出来る範囲で、持続可能な範囲でという意識の上で行動していくのが無理がないと今、思います。
自分が精神的に疲弊してしまっては、エコも健康もないですからね。
と、ちょっと固いエントリーになりましたが、あらためて「食べる」ということを考えさせてくれたヤギのひろしさん、並びにお誘いいただいた方々に感謝します。
え?ヤギの味ですか?血の獣の味です。「生きてる」って感じでした。「そして、ぼくたちは生きてくんだ」って後味でした。
特に、ヤギの血で内臓を炒めたヤギのチーイリチーと、ヤギの刺身…
かなり、きちゃってました。どことなく、マトンに似てはいましたが…
機会があれば、チャレンジしないでください。いや、してみてください。