エイサーに保良ヨンシー、とどめにチョンダラー。

宮古島来間島4
かなりプリミティブな沖縄の踊り、京太郎(チョンダラー)。

宮古島来間島3
独特でどことなくオリエンタルな化粧。

なかなかマニアックな行事に、写真班として参加してきました。
沖縄の子供達による演舞や伝統芸能の競演です。
場所は、宮古島中央公民館大ホール。はじめて行きました。
ホールの他に和室とか洋室とか書かれた大きな部屋がいくつもあります。
その隣には、調理室。
他の地域でもこんな感じなのでしょうか。公民館って。
宮古島の地域の公民館でも、絶対に調理場があります。
この公民館が地域住民のコミュニティになっていて、何かと集まっては食べたり飲んだりするので、居間や調理場が充実してるのかも…。
そんな宮古島中央公民館に、宮古島はもとより、沖縄本島の北中城村・糸満・東村・宜野座・南風原、多良間島からも子供達が参加して、伝統芸能を披露。

印象的だったのは、下地のエイサーと、チョンダラー。
下地のエイサーは、かなりまとまっていて力強く、感動的でした。相当、練習していると思います。特に、平良以外の地区ではこういった事には熱心なので。
そして、なんといっても京太郎(チョンダラー)。なかなか宮古島では見ないのです。
厳かでどこか気品を感じ、神聖な気持ちにさせる踊り。
エイサーの原型とも言われる京太郎(チョンダラー)。
現在ではエイサーとともに舞うことが多い。
ちなみにエイサーは太鼓をガンガン叩くイメージが強いですが、太鼓で舞うエイサーというのは、比較的歴史が浅いのです。
今でも太鼓なしのエイサーなど、沖縄各地には色んな型のエイサーがあります。

さぁ、今晩はもうひとつの伝統行事、模合です。
メンバーは7人で、そのうち5人が宮古島人。もう1人が石垣島人。そして自分(内地人)。
石垣人のH君が石垣島に戻ってしまうので最後の模合です。残念ですが、サヨナラだけが人生さ。
寂しさを飲み干してやろうと思います。

エイサーを琉球の村々に広めたのは、芸能集団として京都からやってきた太郎こと、京太郎(チョンダラー)たちだったといわれています。

彼らは正月には門付けの祝言をとなえ、葬式では鉦(かね)を鳴らして念仏をとなえながら、念仏踊りをした念仏者(ニンブチャー)でした。

現在の那覇市首里にあったという行脚村(アンニャムラ)に集団で暮らしながら、村々を北部まで渡り歩いて念仏踊りを広めたようです。

時代と共にその歌詞の内容は少しずつ変わっていきましたが、『仲順流れ(ちゅんじゅんながり)』は今もその流れを受け継いでいる代表的なエイサー曲として知られています。

0 Comments »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URI

Leave a comment

This work is licensed under a Creative Commons Attribution-Noncommercial-Share Alike 3.0 Unported License.
(c) 2024 来間島(宮古島のわきっちょ) Yacha Yacha/ヤッカヤッカ | powered by WordPress with Barecity