
大工さんも席に着き、酒浸りのフルコースが幕を空ける。

U三先生も、人生3度目のオトーリとあって余裕。
昨日の仕事上がる時、社長に「明日、スラブなので休ませていただきます」と挨拶すると
「宮古島には独特の風習があるから、気をつけなさい」と言われたらしい(^Д^)wwww

現場を取り仕切る建築会社の専務さん。

今回は、宮古島の若手のブライテストホープも列席。平均年齢がぐっと若返った瞬間!(^Д^)設備屋さん、一言コソッと「なんかお洒落な人達がキタっyo」(^Д^)
皆さんの参照リンク。
宮古島でイベントをオーガナイザズする、楽宴スタッフのお歴々とインギャー近くにあるクールなホテル、リゾートホテルrennオーナー、西里の居酒屋カテラの若きオーナー、平良のレンタル&バイクショップのBell Frameのオーナーも列席。島には事業主が多い(^Д^)

来間島のヤッカヤッカのお隣さんも来てくれました。

オトーリ、最終フェーズ。
意識は忘却の彼方へ。u三さんは歩道に寝そべる。
地鎮祭、基礎打ち、1階スラブ打ち、2階スラブ打ちと、宴席をこなしてきた。とにかく準備が大変。後は完成祝いだけど、2月以上も後なので少しゆっくり出来るのがうれしい。明日は、左官屋さんに教えてもらった宮古島の石灰岩を混ぜた外壁塗装の見学に行く。なんでも年数が経つにつれて締まっていき、頑丈な上に、風雨にさらされることでいい模様にもなるという。

ヤッカヤッカ最後のスラブ打ちという事で、来間島の現場へ朝9時に向かう。
相当、天気がよかった。これだけ空が青いと写真も気持ちいい。コンクリをガンガン注入。

来間島に住んでるが名前は池間さん、カメラ目線あざす。

生コンのクレーンをリモコン操作。

生コンを入れつつ、バイブレータで下部にコンクリートを落としていく。

下では、ハンマーで型枠を叩いて、きちんとコンクリートが詰まっているかを音で聞き分ける。さすらいの大工U三も助っ人として登場。

左官屋の若衆が仕上げをする。

はい。完了。

U三、作業中に藪の中に大工道具を落とすという失態をおかす。
U三の写真をガンガンアップしてる効果が現れた。
U三は、昨日から下地の建築現場へ行っているが、
そこで施主さんに
「あれ~?君、どっかで会わなかったっけ?どっかで見た顔だなぁ」
「あ、来間島のヤッカヤッカのブログで見たことあるわ~」(^Д^)
この後、drunken Circuitの始まりです。

カメラを買って1年足らず。色々、撮ってきたけど宮古島での被写体は圧倒的に自然。
ブツを撮ってみたいと思い、宮古島でがんばるレンタルバイク&ショップBell Frameへ仕事帰りに寄る。DIYの内装が超クール。というかセンスいいなぁ~。ロゴもかっこいいし。バイクはよくわからんけど、BMWとか置いてあって軽く感動。ハレーのカスタムバイクもチョッパーって感じでなく渋かった。肝心な写真だけど、光が足りずボケたのばっか。今度、また行こう。さて今晩は、スラブ打ちの準備をしなきゃ。こじんまりとするスラブ打ちだけど、なんだかんだと結構な人数に声をかけた。全員来ることは、まずないが準備だけはしておくという博打スタイル。
内壁塗装の準備もそろそろしておかないとまずい。サメジマコーポレーションに電話して在庫の確認。ついでに下地処理の事を聞くと躯体がブロックだと珪藻土がひび割れたり落ちたりするかもと言われた。
石膏ボードやコンクリート、モルタルの下地材が必要だと。あくまでもメーカー推奨だが。業者さんに相談だなぁ~これは。
大きな地図で見る
Bell Frameの場所。

来間島カップル。
昨日は、ゲストハウスひだまりのスタッフ、コニーが東京に帰るってことで宮古島の居酒屋new comer カテラって店で送別会。去年の5月から飲む約束をしてたけど、結局この日が最初で最後。久々に芋焼酎を飲む。
そしてバーパルスに流れる。また。

設計士さんに聞いた船立堂御嶽で、面接必勝祈願をするU三。
立堂は、県道83号線から港方向へ入った西仲宗根の住宅街にある 船立堂は、兄妹「かねどの・しらくにやすつかさ」を鍛冶神、農業神として祀る御嶽。
大工さんなら、拝んどかなきゃならない御嶽らしい。
U三の面接に身元引受人というか、親がわりというか、面接に付き合った。行ってみて、かなりしっかりした会社で少し驚いた。木工事が得意という事でオフィスのところどころに職人の香りが。ひとしきり話して、その場でオーケーとの返事で、少し拍子抜け。思わず社長に握手をしそうになった。車のローンが残るU三も、随分安心した様子だった。明日は日曜日。現場に行って、釣りをしよう。月曜は銀行へ行き、融資実行の手続き。外壁塗装の件も、もう決めないとまずい。

さすらい大工、U三は今日も現場出向く。今日は、6日のスラブ打ちに向けて型枠に釘を打ち込む。

鉄筋屋さんに混じってひたすら、打つ。

U三いわく、このお方は棟梁。

現場では、一番の若手のU三。先週土曜に来て、初めての土地で、初めての現場で、しかも宮古島で、そのまた横の来間島の現場で、しかも飛び込みで、普通に地元の人と働いてる姿を見ると笑えてきます(^Д^)えらい男前。

スラブ打ちに向けて、資材を2階屋上へ運ぶ、専務さん。

棟梁、カメラ目線、あっざっす!

美しい足場。

2階、後方の部屋。

リビング。前方のデッキ部分に向けて、大きめの開放部にしてもらった。

リビングから隣のきび畑。実は、大工の●間さんのご実家の畑。

随分と出来てきた。と、告知看板を設置しようと考えている。週末は、なんか植物の種を植えに現場へ行こう。
突然、U三のスタディ——-
U三は、瀬戸物で有名な愛知県瀬戸市の出身。十代の頃、私、yasuo mondoのバンドのライブを見に来て知り合う。その後、U三は憧れの大工になる為に親方につき8年の修行を積む。ヤッカヤッカのプロジェクト始動当初から、度々電話を入れて、色々と相談になってもらっていた。冗談で「予算ないから、U三、作ってよ」と言っていたのが、去年12月に親方が経営難に陥ったことで、ヤッカヤッカプロジェクト参戦が現実となった。こっち来て、約1週間。昨日知ったばかりだが、住むつもりで宮古島に来たらしい(;´Д`;)ヤッカヤッカの建築が終われば、帰るもんだとばかり思っていたけども。設計士さんに相談すると、さっそく知り合いの宮大工さんがいるという業者さんに打診してくれたらしく。まったくありがたい話でごぜえやす。宮古島で宮大工。以外な気もしたけど、昔は腕のいい大工がたくさんいたらしい。漁港のある荷取には、特に船大工さんが多かったらしい。サバニをびしっと作れる大工さんも、今では久松に一人だけらしい。
ともあれ、U三の宮古島ライフがスタートしたわけで、その先に輝かしい未来がある事を願ってお互い、ケアしながら、やっていこうと思う。しかし、U三の無鉄砲さに正直、驚いた。まさか、住むつもりだったとは。

夕暮れのヤッカヤッカ最上階の屋根に立つ、U造。本日、初出勤を終えしばし来間島の夕日を眺める。

雲の切れ間から太陽光が海に降り注ぐ。きれいだにゃ~。邪魔だよ、U造。

2階の屋根部分の型枠がのってた。

2階リビングから、デッキ部分を望む。

2階屋上から前浜を見る。

前浜とは反対のムスヌン浜方面の海。

長間浜方面に陽が落ちる。
わざわざ、大和からヤッカヤッカの建築現場を手伝いに来てくれたU造。今日から現場へ行くというので、U造の現場日誌を書こうと思う。
U造君から、宮古島へ行くと連絡があったのは、工事契約も終了した12月の中旬くらい。なんでも親方の業績が奮わず、解雇されたので宮古島にリフレッシュがてらいくと言う。「来なよ」と伝えて、先週金曜日にハイエースに愛用の大工道具を積んで島へ来た。
まずは、現場が見たいというので、現場へ向かい大工さんに紹介。「ほんとに来ちゃったのか!?」と驚いていた。できれば仕事としてやりたいが、工事契約も済んでしまってるし、棟梁の仕切りもあるので、出来れば使ってやってくださいとお願いして現場を離れた。U造の専門の木工事が少ないのも逆風。
が、never mind。
ということでさすらい大工、U造君は昨日の泡盛が効き過ぎて午後出社。約束はしてないが前日の現場見学で大工さんの一人が冗談で「毎日来い」と言っていたので、ニッカポッカはいて、いきなりヤッカヤッカ建築現場へ。いきなり本当に来たので、現場の大工さん達が一瞬、困ったような顔をしたように見えた。しかし、そこは持ち前にno care、never mind精神で、スプラッシュ。そのフットワークの軽さも気に入られたようだ。型枠大工の●間さんにつき、現場を手伝う。もちろん、宮古島が初体験なら沖縄も初体験。大工さんのネイティブな方言にやられっぱなし。標準語で話してくれているが、それでも、いまいち聞き取れない初老の大工さんもいた。
何度も聞き返すのも失礼かなと弱腰にもなるが、まぁnever mind。明日の現場は晴れるかな。
2階型枠も、段々できて、もうすぐスラブ打ちだなぁ。U造をみんなに紹介するのが楽しみです。酔っ払うなよ。いや、酔っ払いなよ。
ゴリちゃんは、伊良部島に向かった模様。

宮古島熱帯植物園で。
10代からの友達のU造が宮古島に船でやってきた。朝4時に。前の日は、●念さん家族と飲みに行き、さすがに朝がつらかった。
寝てるとU造から電話がきたので、パイナガマビーチ近くで落ち合ってしばし再会を喜んだ。
さっそく来間島の現場に行き、見てもらう。大工さんにU造を「大工のU造です」と紹介すると、毎日、現場に来いと言われる。在来工法の大工であるU造の目から見ると、異質な現場らしい。U造を交えたスラブ打ちが楽しみ。ひとしきり話し、現場を後に。
平良に戻って、まずはそばでもと、古謝そばへ。クースーが初めてだったみたく、たっぷり見舞ってやりました。
自宅にもどり、少し休んでイヌマキを植えに設備屋さんのご実家へ。男4人で3m近いイヌマキ2本を畑に植えさせてもらった。
アレカヤシが成長が早いというので、今度はアレカヤシを植えよう。
今日は、もうひとり、名古屋で居酒屋goricoをやってるゴリちゃんが宮古島にやってくる。
はずが、セントレアが強風の為、飛行機飛ばず。現在キャンセル待ち。U造は、持参のウェットを持って、チャリンコで来間島まで、さっそく泳ぎに行った(^Д^)元気やなぁ。
ヤッカヤッカ満員御礼です。
ヤシ科の植物は二千七百種近くあるといわれています。その形態は意外と変化に富んでいて、ココヤシやフェニックスのように一本だけの幹をまっすぐに伸ばして育つもの、アレカヤシのように株立ちになるもの、トウ(籐)のように蔓状に伸びて、ほかのものにからまるように生育するものなどがあります。 葉のタイプは大きく分けて、うちわ状あるいは掌状になるもの、鳥の羽根状になるものの二つに分けられます。うちわ状あるいは掌状の葉を着けるヤシは、シュロ、シュロチク、カンノンチクなど比較的私たちになじみの深いものです。そのためか、私たちが漠然と頭に浮かべる「熱帯に生育するヤシ」のイメージに近いのは、鳥の羽根状の葉を大きく広げるタイプのように思われます。 今回ご紹介するアレカヤシは、鳥の羽根状の葉を着けるもの中でも、とりわけ優美なヤシの一つ。ココヤシやケンチャヤシ、フェニックスなどと同様、いかにも南国的な観葉植物として好んで栽培されています。 アレカヤシは地表近くから何本もの茎を出し、株立ちになります。通常は高さ二メートルほどの鉢物として市販されていますが、原産地などでは八メートルほどの高さに生育します。 葉には光沢があり、黄色みを帯びる葉軸に五十対ほどの細長い裂片を着けます。葉軸とおのおのの裂片がゆるやかなカーブを描いて下垂するので、全体として非常に優しいラインを描きます。
アレカヤシという名前は、昔このヤシがアレカ属に分類されていたことに由来します。現在では属が編成し直されて、クリサリドカルプス属に分類されています。このクリサリドカルプス属には約二十種があり、すべてマダガスカル島に原産します。
ちなみにアレカ属というのは、有名なビンロウジュなどを含む属です。ビンロウジュの実に石灰を付けて、コショウ科の植物、キンマの葉にくるんだものを嗜好品として噛む風習は、熱帯の国々に広く見られます。